「市場の暴力」はどこまで反省と改善・・・に関する記事
質問
「市場の暴力」はどこまで反省と改善に結びつきますか?ある日の帰宅中の出来事でした。交差点で前から二人組の男がやってきて、うち一人がわざと自分のメガネをぶつけて(後で気がついた)「よくもオレのメガネに傷をつけてくれたな」と因縁をつけ、金を脅し取ろうとしました。次の日の帰宅も、同じ交差点で似たような二人組が前から来て、うち一人がわざと自分のメガネをぶつけたのを確認して携帯で110しました。(警察が来るのは凄く遅かった、交番も警察署もそう遠くないのに・・・・)「日本でもけん銃が自由化していればなぁ、この場で二人を射殺できたのに、射殺で二人に反省を促し、ほかのヤクザにも見せしめになるのに残念だなぁ」と二日連続で歯がゆかったです。元女性受刑者が書いた本では、「壁の向こうで反省している人は2割程度で、残りの8割は厳しい受刑生活に追われるので精一杯になっているのが実感 刑務所はあまり更正になっていない」となっていました。私は、銃規制とか、刑法、矯正政策とか、裁判制度とか、そういうお堅いことを知りたいのではなく、ペナルティーがどれだけ反省に結びつくか?に興味があるのです。例えば人間関係だと、相手を怒るとか、無視するとか、そういう方法があります。相手が企業・団体だったら、クレーム入れる、ネット掲示板にクレームを書く、相手の商品・サービスをボイコットする、その企業の株を売りを浴びせる、株主総会で突き上げる とか、そういう方法ですね。法律で裁ききれないなら、カネで裁けばいい、精神的に裁けばいい。いわゆる「市場の暴力」というやつですね。でも、そういった「市場の暴力」がどれだけ相手側の反省に結びつくのか?というの分析された話を、何故かあまり聞きませんが、研究家の間では、どのような結論になっているのでしょうか?
回答
ペナルティーの有無と反省の有無は全く関係ないと考えています。あくまでも個々の良心によるもので、法的・社会的な制裁を全く受けなかったにせよ、この心のある人は自ら猛省をすることでしょう。刑法や裁判では傷害・致傷事案を「〜〜過失致傷」などと扱いますが、酒を飲んで酔っていたがゆえに人にぶつけた運転者のどこが「過失」でしょうか。完全な故意ではなかったにせよ、充分に予見できることで、「分かっていて傷つけた」も誤りではないと思うのです。こうした人間が地域住民から迫害に遭い、刑務官に罵詈雑言を浴びせられ、社会から隔絶されて生き延びたとしても反省することは無いんじゃないですかね。一過性の反省の後に「忘れちゃったぁ〜♪」ということはよくありそうですが。市場の暴力の結果について、一元的な結論を得ようとはしていないと思います。なので具体的に○○だ、というものは無いのではないでしょうか。例として、雪印が長年続いたブランドを放棄し、あっという間に「1マイナー企業」に陥ったのは、民意がマスコミを正しく通じて批判されたからだと思います。
出典:Yahoo!知恵袋
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